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2011'09.15.Thu

[夏のおもいで・1]飯舘村~南相馬に行ってきた

随分前の話で恐縮なんですが、この夏は諸事情あって福島(実家)と東京(現在地)を行ったり来たりしていました。
正味3往復になるのかな?一番最初に行ったのが7月半ば。
行く度に色んな気持ちを抱かせてくれる福島でした。

で、その頃の思い出話が今綴るに至ったのは、ひとえに書く決心が付かなかったからです。
今の福島の状況は言わずもがなですが、実際に話題の地域に足を踏み入れてしまうと何て言ったもんか分からなくなってしまうんですな。
勿論自分の中に募る思いや感情はたくさんあるんですが、それをどう形にするのがベストなのか分からなかったのです。ただめんどくさかったのもありますけどね。

そんな前置きは取り敢えずにして、今回はその『3往復旅』の中の1回目、7/19について。
表題通り、飯舘村~南相馬に行ってきたのでその話です。


長くなるので畳みます(σ・∀・)σ
興味のある方だけ開いてみて下さい~
 
なんでそこに行って来たかというと、込み入った話で恐縮ですが、母が福島県央から南相馬に転勤することになったのですね。
で、辞令が出たのが3月だったんですが、その後着任の4月を前に東日本大震災。
南相馬市は福島の中でも大打撃を受けた地域です。その上、原発から半径20km圏内の「警戒区域」、半径20km~30km圏内の「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」を有する市です。
なので、上手いことやり過ごせるかな~と思っていたのですが、初夏も過ぎると南相馬に人が戻ってき始め、割と忙しくなってきたので「早く転勤してきちぇ」ってことになったようです。

そうなれば従わない訳にいかないので、すごい速さで引越し準備が進められました。
で、「南相馬に借りる予定のアパートの下見に行くんだけど、一人は淋しいのであんた(私)暇なら一緒来て」ってことでついてったのがその日だったのです。ふふ、長ぇ。

因みに
soma01.jpg
今福島での私の拠点はいわき(母の実家)なのですが、本来このいわき⇔相馬間を結ぶ常磐自動車道・国道6号線を通っていけば、1時間弱で行き来出来るのです。

ところが、原発事故により道路は規制され、通ることは出来ないので迂回するしかありません。
本来のルート以外で相馬に行くためには、49号線もしくは東北自動車道で県央まで出て、4号線もしくはそのまま高速で松川?福島?あたりの県北で降りて一般道を東に向かうしかないのです。これで大体2時間半で着けばいいとこ。地図とちょっと合ってなくてごめんなさいね。
他にもルートがあるのかもしれませんが、道に詳しい県東の親戚一同でも見解はこんな感じです。あと私が道路知識皆無故に説明下手ですみません。


そうなると、この川俣~飯舘~南相馬のルートを通ることになるわけです。
この「飯舘村」を通るのが今回の肝です。ご存知の方も多いでしょうが、飯舘村は福島県の中でも特に放射線量が高いと言われている地域です。
原発から北西30~40kmも離れている飯舘村が、20~30km圏内の地域よりも圧倒的に放射線量が高いのです。

[県北]・福島(北西約60km) 1.04
[県中]・郡山(西約60km) 0.93
[相双]・南相馬(北約25km) 0.42
[いわき]・いわき(南西約40km) 0.18
(9/15現在・平常値はどの地域も凡そ0.04~0.06)

[飯舘村]・長泥地区(北西約33km) 8.81


(※2011年9月初旬の数値です)
[※福島県ホームページ 環境放射能測定結果 「県内7方部 環境放射能測定結果(第356報)(暫定値)について」
「20キロメートル~50キロメートル圏付近環境放射能測定結果(第356報)(暫定値)および環境放射能監視テレメータシステム測定結果(20キロメートル圏内)」より一部抜粋]


実際に文字にするとぞっとするね。
で、どうしてこの遠く離れた飯舘村の線量が異様に高いのか、というのは、震災後吹いた風の方向がこっちだったとか、その後降雪があったため地上に付着したからとか、地形の問題などとか様々な理由が言われています。


で、実際川俣~飯舘~南相馬を通っていろいろ感じたことがあったのでまとめます。

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※注意
・7月中旬の模様です
・挙げた数値等は公式の資料を参考にしていますが判断は各々でお願いします
・記述するに当たり調べたり参考にしたりはしていますが、誤りがあったら申し訳ない
・私の主観・憶測で記載されている部分があります
------------------------------


この「川俣」という地域も、一部が計画的避難地域に指定されています。フォルクローレの祭典『コスキン・エン・ハポン』のために何度か行ったことがありますが、いいとこです。(父がフォルクローレグループに所属していたので)
(今年も10/8~10/10開催なんですね!すげー!ヽ(*´∀`)ノ )

その川俣も外を歩く人は若干少なめ、町も大人しくはあったのですが、普通に県道を走っていますと
soma03.jpg
向かいから小型犬が走ってきました。
田舎には良くある『散歩と言いつつもご主人はリードをハナから持ってもいない』で、のんびりしたご主人が後から来るんだろうと母と思っていたら誰も来ない

からの
soma04.jpg
あんなオテンバなチワワ初めて見ました…
すごい勢いでてちてちてちてち走って行きました。
その時は呆気にとられてスルーしてしまったのですが、交通量の多い県道だったので「帰りもいたら保護しよう」と言っていたのですが帰りは会えませんでして。
実際飼い主さんが急な避難を余儀なくされて、行き場をなくしたペットはいっぱいいるので、野良チワワもその一匹なのかもしれません。しかし逞しかった。

野良チワワの興奮もとい衝撃冷めやらぬ車内、一路飯舘村へ。
飯舘村は「計画的避難区域」に指定されており、5月下旬をメドに全村避難を求められていました。
村の約75%が山林で、どこの山間の村とも変わらず、色んな色の緑が広がり、見通しのよい田園風景が広がる、空の気持ち良いのどかな村。

どこの山間の村とも同じように、農業・畜産業などで生計を立てているはずの村ですが、道の脇に青々と広がる田畑には見たことのない雑草が銘々に生命力を放ち、田舎ならではの大きな庭を構えた家々は、堅く門扉を閉ざしていました。
たま~に人がいます。一応、この時点(7/19)で、『7月中には全村避難完了』という計画目標があったので、稀に人影を見るのは頷けます。

異質なのは、この川俣~飯舘~南相馬を結ぶ県道12号線、人の姿は殆ど見かけないけれど、交通量は多いということです。
普通の乗用車はもちろんのこと、物流用トラックや警察車両などの緊急車両も多く見かけます。結局ここしか通る道がないのです。
警察車両に関しては、住民が避難した後の区域をパトロールする意味も含めてだと思いますが、5分に1回はすれ違いました。県警のパトカーも警視庁のパトカーもすれ違います。お疲れ様です。

緩やかに山間部の県道12号線を登っていくと、「八木沢峠」という良くあるナイス峠にぶつかります。
現道に整備されるまで、過去には「阿武隈高地最難所の峠」とも呼ばれたそうです。
うっかりからあげクンを食べて車酔いしていた私にはなかなかパンチの効いた峠でした。八木沢峠の途中で飯舘村から原町市に入ることになります。

急勾配やカーブに揺られ、酔いをkskさせて体感したのは、「確かに地形で放射性物質が滞留するということはあるかもなぁ」という地形でした。
soma02.jpg
極端すぎて恐縮ですが、赤い矢印が風の流れ的なヤツね。
盆地なんかだと、「夏は暑い・冬は寒い」のような話になりますが、それに似たような感じで、ややすり鉢状になった飯舘村に放射性物質が流れ込み、その後逃げ場を失ったのかな、と思わせるような地形でした。あのアップダウン…痺れたぜ。

峠をゆるやかに下ると南相馬。今回の目的地です。
予想していたよりも街は賑やかで、ふっつーに自転車に乗ってお買い物のばあちゃんや歩いてるおばちゃんがチラホラいました。
市街も交通量は多く、開店休業のお店も多いものの、営業しているお店も多いです(※但し閉店時間はがっつり早いそうです)。

母の転勤先にご挨拶に行って、アパートの下見へ。
不動産屋さんによると、アパートも選べる状態ではなく、殆ど満室で現在は空き待ち状態なんですよーとのことでした。原発関係で仕事に来ている人やボランティア関係からの問い合わせが多いんだそうです。
と言っても、大手の○○建設とか○○ホームみたいなところは開店休業なので、結局こういった地元の不動産屋さんが仲介して回るしかないんでしょうな。

最寄り駅は原ノ町駅になるのですが、車両が数両止まっているものの運休。パッと見、駅も電車も外観は何の変哲もないので、運休しているのことが尚更不思議に感じられます。
現在も久ノ浜-亘理間は復旧の目途が立っていません。(※バスでの振替運行が実施されている区間もあります)

南相馬での用事は大体済んだので、もと来た道を帰る前に「最近やっと綺麗に片付いてきたから、せっかくだから見て帰っせ」と言われた沿岸付近を見てみようか?という話になり、道を探しながら海方面に向かうことに。
初めての南相馬で道も分からず、ふいに迷い込んだところにその風景はありました。

soma05.jpg
解体・撤去・補修作業をされている方々がいたので、足を止めるわけにもいかず、見たのはほんの一瞬だったんですが、そこに広がっていたのは「テレビで報道されてきた被災地」であり、まったく別のものでした。
基礎だけ残っている家、交通事故でもこうはならないっていう形にひしゃげている軽トラ、1階2階部分は抜けているけれど、3階は綺麗に住まいがのこっている家屋、背は高いのに枝葉の枯れた夏の樹木。
茶色と灰色しかない中で空だけが真っ青で、「強烈」「衝撃」とだけは言えない印象を受けました。

より茫然とさせたのは、道一本を隔ててあっち(海)側はこの状態で、こっち(内陸)側は家も塀も樹も綺麗に残っているという事象でした。
それ以上はこの周辺を見ることは出来ませんでしたが、目にした意味があった、と思いました。
上手く言えないんですが、テレビで見て絶句するのと、実際に目の前にして絶句するのでは沸く感情の種類や質が違ったからです。

相変わらず子供は皆無、年配の方ばかりの南相馬市街を抜けて、もと来た道、飯舘村へと向かいます。
帰りは野良山羊を見ました!
猫・犬、の次に山羊が好きな私歓喜の状態だったのですが、見たのは母だけだったので割愛。消防団の倉庫の前に2匹座っていたそうです。

川俣~松川~二本松…と来て郡山、午後から仕事という母と別れて、その日のうちに郡山から東京へバスで帰京。
母が南相馬に転勤(一人暮らし)するということは、私が県央の実家に帰ってきても泊まる場所がないということで、ということは母が南相馬にいる間は、私も県央に帰ることはないのだなと、バスの中でぼんやり考えていました。
ちょっと事情がごちゃごちゃしているのでアレなんですが、まぁあれだ、故郷へは帰れないということです。

私の場合は母の転勤に合わせてなので、故郷に帰れないのはいいとこ1~2年なのですが、それでも帰れないと思うと辛くて辛くて、バスの外の見慣れた風景を見ながらちょっと泣きました。
私の「帰れない」と、村の方々の「帰れない」は、天と地ほどの差があって、比較することも甚だおこがましいのですが…

それが、心の準備も出来ないまま取り敢えず避難しろとか、10年は帰れないかもとか、どうよ。
ここはもう住めないから先祖代々続く土地を捨てろ、身一つでいい、牛とかいんねって、どうよ。

飯舘村、本当に何もなくていいところでした。どこの地方でもそうであるように、自然が豊かでのんびり時間が流れてて。
この後、NHKで飯舘村の特集やってたんですけど、もうボロ泣きでダメでした。
なんとか庁の偉い人だか大学の先生だか(忘れちゃったすみません)が来て、村長に「飯舘村はこんな状態だから、除染しないと今後住む手立てはない。でもこんな広い土地では除染後の汚泥も大量に出る。飯舘村の谷を一個切り開いて、そこに処理施設を作ればよくね?土地は十分すぎるほどあるんだし(意訳)」って持ちかけるんです。

こんな理不尽な話ってある?
この緑しかない、細々と自分たちの出来ることだけ一生懸命やってきた長閑な村に、山や谷を潰して近未来の処理施設作ろうぜって言うんです。
良く避難云々とか原発云々の話になると、「福島は金貰ってたんだから」って言う方がいますが、飯舘村は自治体としてはその恩恵を受けていません。
(閑散期、仕事のない時期に原発関連の下請けにお仕事に行く人はいるそうです)
受けていないのに、放射能だけはたっぷり貰っちゃったわけです。
畜産家は長年大事に育てていたブランド牛の飯舘牛を処分し、農家は田畑の作付けが出来ず廃業に追い込まれたりしたわけです。

確かに、起こってしまったことは戻しようがないし、輸送費や拡散防止を考えればその土を飯舘村で処理するのが賢明なのかもしれません。でも、それを貴方が言うの?
感情だけでは物事は進まないかもしれないけれど、それにしたって理不尽すぎる。

「言っても、住めないのは住めないんだから福島県民は移住の決断をすべきだ。都会では転勤や引越しは当たり前。それはただの甘えだ」という意見を見ました。
ちょww待ってwwwそれ『都会』での話でしょwww
言ってることは一見まともに聞こえるけど、先祖が開拓した土地に生まれ育った齢80超えのじいちゃんばあちゃんにもそれ言うのww
土地や家や風景に大した愛着もない人ならそれでもいいかもしれないけど、地方の人のサラリーは「米」や「家畜」なんです。人によっては山や森と言った莫大な土地を所有している人もいるわけで、それを捨て置けというのは死ねというのと一緒ではないのかと思うのです。

それ以前に『故郷』というのは人のパワーの源泉です。
大した愛着も誇りもない人もいるかもしれませんが、普通は『故郷』に愛や憧憬を抱くものではないでしょうか。
慣れ親しんだ風景や家、大事な家族や友達、何事にも変えられない思い出があるから、その場にあっても離れても、誇り、愛おしむ対象なのだと思います。
天災で見るも無残な姿に変わっても、人災で、生きているうちは二度と戻れないのだと言われても。

そうは言っても、生きていなければその『故郷』を守ることも誇ることも出来ないのだから、何も自分で命を縮めるかもしれない選択をせずとも、という意見は良く分かります。
ただ、「甘えるな」と書かれていたことはとても悔しかった。正論を振りかざすようで、何も案じていないではないかと。
故郷を失った人、離れる決断を迫られている人たちのどこにそんな心の余裕があるのでしょうか。


私が大きく感情を出すのはここまでにします。
というのも、こういう込み入った話を誰とどこまでするのが正しいのか、分からなくなってきたからです。

当然のことながら、今回の震災に関して、東北人同士だから全ての感情を共有できる、共感できるというわけではありません。
津波で町も家族も失った地域と、町も家族も残っているけれど足も踏み入れられない地域では、どっちがどうかなんて話は不毛です。

私は福島出身なので、身内は殆ど福島人だし、今一緒に住んでいる相方ちゃんも福島人です。
なので、相方とは震災の話や原発の話が心置きなく出来ます。
でも、私たちは東京在住なので、福島在住の友達や身内関係とは少し距離が出来ます。

震災が起こったとき、東北とは縁遠い関西地方の友人達が「何て言ったらいいのか分からないけど…」と、案じながらも距離を測りかねていました。阪神大震災を経験した友人達ですらです。
放射能も電力不足も関係ない地域に住む人もいるでしょう。「ネットの上でなら何とでも言える」かもしれませんが、意外とその距離が冷静な指摘をくれる時もあります。(このケースは極稀ですが)

そう考えていくと、何が正しくてどう主張や持論を構築していったらいいのか、分からなくなってしまったんですね。
なので、この記事に関してもずっと書けずにいたのです。
ちょっと物事が大きすぎて、提起されれば読み込むのに時間がかかり、日本各地の顔の見えない人達の意見を目にして落胆したり左右されたり。
そんな状態で大切な故郷について触れて、まともなことが書けるんだろうかと。

今も揺らいだり考え込んだりの繰り返しで過ごしてはいますが、今回飯舘村~南相馬に行くことが出来て良かったです。
それから、今回これを書いていて、故郷を大事と思うのならば故郷の勉強も自ら意識的にしなければならないなと思いました。うちの母はしてる人です。原発がどうとか政治背景がどうとか詳しい人です。助かってます(;・∀・)
感情だけではディティールや本質を伝達することはできんのです。

数ヶ月前は問題の早期解決を望んだ時期もありましたが、今はなんと言うか、集よりも個で。
距離はどうあれ、他人の環境や故郷・その人を慮って意見交換したり声を上げたりしてほしいなと思います。あっ真面目になっちゃった。

長くなりましたが。
あと1回?夏の思い出話しますが、こんな内容じゃないです(ノ´∀`*)
たまにはいいよね!!


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