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2011'04.11.Mon

とーほぐの、じしん・4

この記事タイトルでのシリーズは、取り敢えず一応の最終回。
前回の記事より、いわき市でも原発から40km圏内の地域で色々ぼんやりしており、4月アタマに引き上げて参りました。
本当は向こうにいるうちか、帰ってきてすぐに更新したかったんですが、なんやかんやしてたら今になっちゃた(・ω・)

相変わらず昼夜問わず余震は続いていましたが、毎日天気も良く、穏やかな気候が続いておりました。
一緒に住んでた親戚も、『夜も震度3くらいじゃ起きね~』って言って熟睡してました。ちょw超揺れてんのに誰も起きないんすけどwwって一人で焦ってました…

そんな地元福島にいると、東京でテレビ見てるだけでは分からない、地元でしか分からないことが見聞できます。行って良かったと思うことの一つです。
震災から一ヶ月経ち、今は首都圏でも、原発の最前線で従事する人々の現状や、東北に限らず茨城や千葉、埼玉も含め被災地の隅まで目を遣ったドキュメンタリーや特別番組が多く放映されるようになりましたが、そんなん規模こそ違えど、地元ではずっと放送されていたことです。
「県内の天気図」ってあるじゃないですか。あれ、福島だと天気や降水確率の最後に「各地の放射線量」って出るんだぜw
笑いながらないわーって思った。必要だけど、多分こんな予報見るのは他所ではないと思う。
同じように被害を被ってる茨城とか、北関東あたりだとあるのかもしれないけど。

CMも、今はどうなのかな…地元では、4月に入ってもしばらくはAC関係と、当たり障りのない民間企業の「頑張ろう」系と、地元企業が作成したがんばっぺ系とぽぽぽぽーんだけでした。
東京戻ってきて感じたのは、テレビ番組自体の賑やかさが違うのは勿論、CMも大分通常のものがフェードインしてきてんなぁ~(・ω・)ってこと。
自粛ムードも解けかけてる今、全部が全部そういう震災関係の特集にしろとは思わないけど、『話題のグルメ食べ歩き!』とかはまだ早いんじゃねーの~?( ・∀・)って気にはなりました。まぁ見るのは関東以西の人たちだけだからいいのか。


向こうにいる時、少し時間が空いたのでフラッと美容院に行ってきました。あんまり毛先が傷んでいるので、地元帰った時何度か通りかかって「いいな~」と思ってたとこにフラッと。
「水も出るようになったし、昨日から営業再開してるんです」という気持ちの良い女性オーナーさんが担当してくれて、地震のことや避難中のこと、東電がどうのニュースがどうのって話をしました。

ショックだったのは、沿岸で被害に遭った行方不明者のご遺体が、次々と海岸に打ち上げられているということ。
オーナーさんは御実家のある茨城に避難していたそうですが、海岸に朝から消防や警察が集まって騒々しいと思ったら、そういったことが毎朝続いていたそうです。
これは、自分とこでも聞きました。「○○海岸がすごいらしいよ」「■■海岸もだっぺ」
…○○海岸も■■海岸も、自分が小さい頃に良く海水浴に連れてってもらった場所です。海も砂浜も本当に美しく、夏になれば当然海水浴客で賑わう場所。
そういうところが、今は言葉に出来ないような光景に変わってしまっている。詰まります。

印象深かったのは、「立っていられないようなあの地震が、やっと終わった後のあの静寂は一生忘れられない」という言葉。
うちの母も「2分間、しかもクレッシェンドのような地震は一生忘れられないし、これを経験してたら大抵のことは怖くない」と言っていました。
当時自分がいた場所(神奈川)も、これまで経験したことがないほど揺れたけど、そこまでじゃない。
津波がないことは勿論ですが、全然、恵まれていたんだなぁと感じます。

気になっていた髪もがっつり切ってもらって、お互いに頑張っぺね、て話をして、「また、立ち直ったいわきを見に来て下さい」と笑顔で見送って貰えたのがものすごく染みました。

また、これも親戚から聞いた話。
あの地震の後、「津波なんか来ねぇべ」と家の二階に上がって、物見遊山のつもりで窓から見える海を見ていたら、
「海が有り得ないくらいサアッと引いていくのが見えて、『津波が来る』と直感した。
家にいた子供たちやばあちゃんに、すぐ必要なものを用意させて高台へ避難した。自分は怖くて振り返れなかったけど、ばあちゃんは『津波がそこまで迫ってきてた』って言ってた。
車で逃げていたら間に合わなかった」

(※実際、数十年前の地震ではこの「海がサアッと引いた」瞬間に、打ち上げられた魚を取るのに浜辺へ出て行った人が大勢いたとか。気の毒ではあるけれど、無論津波にさらわれてしまったという話)

自分も↑の話を聞いた時は鳥肌が立ちました。もっとも、地元で聞く話は殆どが言葉を失うものばかりだけどね。
でも、こうやって壊滅的な被害を受けていても「あっちの○○地区はもっと酷いらしい」「うちなんていい方なんだ、家は無くなったけど人は亡くなってないんだから」と、他を気遣う気持ち、流石東北人だぜって思います。

i01.jpg

原発問題も風評被害も、いつ収束するか分からない中、個が復興を願いできることを努め、それがうねりに変わって集となり、町や自治体が導き、動く。
周囲では既に、全壊した家屋の地震保険による請求(震災の一週間前に入ってたそうです。ミラクル)、自営業を営む親戚は、避難による長期休業の従業員に対する給与関連などなど、日常に直結する様々なことが具体的に動き出しています。

勿論、これから復興へ向けて動き出すと言っても、まだまだ救出作業を行っている地域もあるし、避難だけさせられて先の見通しの立たない人達もいる。
都市部の液状化現象の被害に遭った地域の方々だって、行政が取り合ってくれなければアウトでしょう。

関東のための原発が我が福島県にあることやその経緯、それ自体の存在意義や是非に関しては今更ここで論じるつもりはありませんが、このことに関わる国政・行政・企業等々が最大限尽力し、熟慮の末施行してくれることを望みます。
原発問題に限らず、自分たちの力で復興しようと助け合っている被災地の人々や、それを支援してくれている人々の善意や至情を裏切ることがありませんように。


自分は、故郷は福島でありますが、振り返れば都心での生活も随分長いので、地方と首都圏、どちらの思いもそれなりに分かるつもりです。(気持ちは無論うつくしまふくしまです)
その中で、西が北を、北が東を、東が北を、という妬み嫉みの声に立ち会いました。

けれどもその逆、遠く縁の無い地域の人々を思い遣る温かい気持ちも沢山見聞きしました。
私も実際、西の友人方に有難いくらい心配してもらったし、実際に支援もして頂きました。

たまに色んなとこで言うんですけど、大好き坂本真綾嬢の言うところの
『世界中にともだちがいれば、それぞれがその国を慮って戦争はなくなる』(意訳)です。

もしいろんな国に友だちがいたら、その国を自然と好きになってしまうはず。
そしてもしその国で悲しいことが起こったら、一緒に悲しくなるはずです。
国の名前じゃなくて、彼らの名前や顔が浮かぶから。
(中略)
だってこうやって世界各国にともだちがいたら、私たちは争うことなんて誰も望まないでしょう。
あの人のいる街、あの人の大切な祖国が平和であるようにと願うからです。

(坂本真綾『the id』2004.8.10より引用)



当時見てから、今に至るまで強烈に胸に残っている言葉。まったくその通りだし、今回もそうだと思います。
自分や自分の大切なともだちの故郷であったり、縁のある地域であったら、まともな人間であれば絶対に悪意のある言葉は呟けない。
「○○には妻の実家があるから」「○○では出張や旅行でお世話になったから」と案じたり、我が事のように苦しんだり、ボランティアに向かう人たちを見ました。
その裏で、被災地や被災者に対する心無い言葉を見聞きしたのが、私の中で今回一番の心痛です。


そうこうしている過日も今現在も、大きな余震が三度東北を襲いました。
直後心配になってメールしたんですが、ちょうど今いわきの叔母から電話が掛かってきて「ばあちゃん庇うのに、後ろの冷蔵庫押さえてたら前から地デジのテレビ落っこってきたww」って…おおぅ…
停電は復旧したようですが、「ホント勘弁してほしい」と、元気の無い声がたまらんかったです。


今後は地震関連は様子を見つつ、こんな長ったらしい記事ではないもので綴っていけたらと思います。
みんな徐々に笑顔を取り戻していつもの生活に戻ろうとはしているけど、四重苦に喘ぐいわき市なのでどうしてもこうなっちゃう(´・ω・)

不安や疑心ではない別の気持ちをお届けできるように、どうでもいい明るい話題をいつものリズムで一生懸命綴っていけたらと思います。
読んで下さってありがとうございます。


最後に、福島に帰ったときにインター降りたとこで見たコレ。
見た瞬間に涙出ました。街中はずっとこんなカンジでした。

被災地はきっと今、どこもこういう気持ちなんだと思います。

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